院試休み 12、13日目
何か漠然とした日だった。
集中力も続かないし。何だこれ。
だらけているとその日の夜に不安感に駆られる。
高野悦子の「二十歳の原点」は1969年に書かれた日記を抜き出した著書だ。著者は二十歳で自殺を図っており、その日までの日記がこの本に綴られている。
人間関係、理想。それに加えて、当時の不安定な社会情勢。あらゆるものから影響を受け、次第に心が衰弱していく様は文字だけでも想像に難くない。
理想を追うために勉強をするが、体がついていかない。それに失望するのはいつだって自分自身だ。罪悪感から逃れるために酒が増える。負のループが止まらない。
何事もうまくいかない。けれど、個人の問題を誰に助けを乞うのか?
大人になる(年齢を増す)につれて、諦めがわかってくる。理想から何歩引き下がったところでゴールとするかは人によって違うだろう。むしろ、理想を基準とするのではなく、現時点での位置を基準とするのが大人だと思う。
メンタルコーチなどを自称する人間が「大事なのは自己肯定感だ」と言い、ツイッターで「いいね」を集める。良い生き方だと頭ではわかっていながら、そちらに吸い込まれるといつしか虚無に襲われてしまう気がしてしまう。
今の自分に満足できない焦りを活力にしたいよな。
大人になれない子供なのか、子供のままの大人なのか。
ところで、理想の中に仕事が含まれるかは、本当に人によって異なると思う。
仕事に対する価値観は自分が聞く中でも大きく二分する。お金のための労働、自分のための労働のふたつだ。前者は、仕事を金策と捉えていて、生活のためであるとか、趣味などのプライベートに対する対価として労働があるという考えだ。わかる。
一方、後者は自己成長の一言に尽きると思う。得られる知識、経験に価値を置いている。
どちらが正解とかはないが、前者が普通だと思う。それに、経済環境と切っても切り離せない話だから、選べる人間は多方な面で恵まれていると思う。
それでも、自分はこの後者の価値観を大切にしたい。窓際社員とか言われるのもなんか嫌だし、自分は力があればどうにか生きていけると思っているタイプの人間だからだ。
バンジージャンプをして終える人生と、せずに終える人生なら圧倒的に前者を選ぶ人間でありたい。感情よりも好奇心を大切にしたい。見切りをつけて「やる意味」を問う人間ではありたくない、そんなことを思いながら、いつかやろうと思っていたアプリ開発の参考書がこちらを睨んでいる気がしてならない。